こまちなか観光MAP

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NO4  清円寺
清円寺

福井市宝永4-22-13
 
 日下部太郎はもとの名を八木八十八といい、1845年に八木郡右衛門とおくまの長男として、福井城下の江戸町(現宝永4丁目)に生まれました。八十八は幼少の頃から読書が好きで、10歳のころには漢文ばかりで書いてある書物を自由に読みこなすほどでした。13歳の頃からは福井藩の学校「明道館」に入って学問に励みました。
 22歳の時、福井藩派遣の渡米留学生に選ばれ、アメリカニュージャージー州ニューブランズウィック市のラドカーズ大学に留学しました。勉強熱心な太郎は才能を発揮して成績優秀のため留学の翌年、いきなり2年生に編入されました。
 勉学ですばらしい成果を修めていた太郎でしたが、経済的には苦しく、生活は苦労の連続でした。その生活の苦しみと過労が太郎を蝕んでいき、肺結核にかかり、卒業を目の前にしてニューブランズウィック病院の一室で1870年26歳の若さで亡くなりました。
 清円寺はこの日下部太郎の菩提寺である。
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