No10 「旧柳町」標識
福井市春山2-1-1
江戸時代の町名で、この町の東側に福井城の柳門があったことが、町名の由来と考えられている。
慶長17年(1612)頃のものとされる「北庄四ツ割図」には、すでに町名の記載があり、城下町組成の当初から町制がなされていたことがわかる。
江戸時代中期には弘法大師と伝えのある弁財天像を安置する「弁財天堂」が置かれるようになり、多くの信仰を集めたが、戦災により消失し、跡地には祠(ほこら)が祀られている。