幕末以前の日本では天然痘が猛威をふるっており死病として大変恐れられていた。ジェンナーの発明した種痘によって天然痘の流行を止められると知った西洋医の白翁は、藩主の松平春嶽を介して種痘の輸入を幕府に陳情する。しかし輸入の許可が降りた同じ頃には痘苗は佐賀藩の依頼によって長崎に輸入されていた。これを聞いた白翁はこの痘苗を手に入れるため旅立つことにした。運良く京都で痘苗を入手したため、さっそく接種した子供達と共に福井へと折り返すが、時は1月。雪深い栃ノ木峠を決死の覚悟で突破して、痘苗を持ち帰ることに成功した白翁は、全国に先駆けて種痘の普及と実施に全力を尽くした。
また除痘館のあった辺りにはこの石碑が建てられている。ここで種痘が実施されていたと言われる。
|
|
|