文久2年(1862)に横浜で貿易商を営む岡倉覚右衛門の次男として生まれました。岡倉家は、松平家(福井藩)に仕え、藩命を受けて横浜に出て藩店を経営しました。岡倉天心は16歳の明治10年(1877)東京大学文学部に入学し、アメリカ人教師フェノロサの日本美術研究を手伝ううちに、日本古来の絵の素晴らしさに惹かれていきました。岡倉天心は大学卒業後、文部省に勤め、外国美術教育を調べて帰国してから、明治22年(1899)に東京美術学校を開き、横山大観や下村観山、菱田春草などの著名な画家に教え、大きな影響を与えました。その後も日本画の研究を続けていきました。
岡倉天心は明治37年(1837)に渡米して、ボストン美術館の東洋部長になり、
日本文化を紹介するために外国に向けて英語で本を著したりしました。 |
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