No30 「旧一乗町」標識
福井市順化2-11
戦国時代末の天正13年(1585)の古文書にその名がみえる城下町で最も古い町名であり、柴田勝家が朝倉氏の本拠地の一乗谷から住民を移住させてつくった町といわれる。
また現在の片町通りと呉服町通りとを結ぶ通路の区画は江戸時代の町別をほぼ残している。北から順に柳町(現さくら通り)、紺屋町、板屋町、長寿町、一乗町、魚町、大黒町、伝馬町、米町、本町(現本町明里線)の各町が割付与されていた。