No42 橘曙覧藁屋跡
福井市照手2-5-13
江戸時代の歌人橘曙覧が、37歳の時に足羽山の黄金舎から三ツ橋(照手2丁目)に居を移し、ここを藁屋と称しました。当時の藁屋は2階建て高さ1丈5尺、屋根は総コケラぶき、入り口は南向き、階下は北向きの座敷8畳半の西に並んで6畳間、座敷の南に接して4畳半、それに板敷の台所並びに流し元という間取りでした。安政元年(1854)に大火のため藁屋が消失し、安政3年に再建覚ました。
また曙覧の妻が約20年間のもらい水の労苦から開放されたことを喜んだ「袖干の井跡」が見られます。