大森房吉は、明治元年(1868)、福井藩士大森藤輔の五男として当地(旧城下新屋敷百軒長屋)で生まれました。
明治23年(1890)、東京帝大理科大学物理学科を卒業後、大学院で地震学、気象学を専攻し、明治29年(1896)、29歳の若さで同大学地震学教授となり、終生地震学の研究に専念しました。
大森の地震学上の業績は大森式地震計の考案、地震帯の発見、初期微動と震源距離との関係(大森公式)、余震頻度の式、建造物の振動測定(耐震試験)など数多くあり、地震発生の構造を探る研究のみではなく、地震によって引き起こされる災害から人々を守るための研究にも取り組みました。
こうした業績は世界的にも認められ、スウェーデンのノーベル賞委員会から審査論文の提出を求められた話は有名です。
大正12年(1923)、オーストラリアに出張中に関東大震災の悲報を知り、急いで帰国しましたが同年11月病気のため亡くなり、谷中天王寺に葬られ翌年東京多摩墓地に改葬された。 |
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