日之出地区の「日之出」の名称は、かつて福井城外堀の東側に開いた城門、日出御門に由来する。
日出御門は福井城内から外へ通ずる七つの主要な門のうち、地蔵町口の奥平門とともに、城の北東、志比口に属した城門の一つであった。日出御門は枡形(小広場)を挟んで二重の城門となり、内側の門は東側に向き、これを中島二ツ門とも呼んだ。
外堀に面した各城門の中で日出御門のみが、このように厳重を極めたのは、この門内の中島堀と荒川に挟まれた土居上に塩硝蔵(弾薬庫)があったからであろう。この日出御門も明治維新になると、いち早く撤去された。 |
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