こまちなか観光MAP

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No54  橘曙覧生誕地碑
橘曙覧生誕地碑

福井市つくも1-4
 
 橘曙覧は文化9年(1812)に石場町(現つくも)に文具商の長男として生まれる。名は五三郎といいました。2歳の時に母が亡くなり、母の実家に養われました。15歳の時に父が亡くなり、その後南条町(現南越前町)の妙泰寺で仏教や漢詩の勉強をしました。21歳の時、直子と結婚、長女、次女と生まれるもすくに亡くなり、また三女健子も4歳時に天然痘で亡くしました。28歳の時に家業を弟に譲り、黄金舎に移り住み、名前を尚事と改めました。37歳時に藁屋に移り住みましたが、43歳時に藁屋が大火で焼けました。名前を曙覧と改め、このとき藩主松平春嶽の命令で万葉集秀歌36首を選び、春嶽におくり、お城で和歌を教えるようにすすめられますが断りました。このころに「独楽吟」がつくられたといわれています。慶応4年(1868)、57歳で病死し、大安寺に葬られました。
 ここはその生家跡に記念碑を建てたものです。
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