北庄城は、戦国時代末に柴田勝家により築かれましたが、柴田勝家の滅亡後には丹羽長秀・長重が城主となりました。天正13年(1585)丹羽氏の転封後、北庄城主となったのが、堀秀政で越前18万石を与えられました。しかし、天正18年(1590)の小田原攻めの陣中で病に倒れ38才で亡くなっています。
秀政の跡は子の秀治が継ぎますが、慶長3年(1598)越後春日山城主に移ったので、堀氏が北庄城主だった期間は2代、13年間でした。
長慶寺は堀秀政自画像が伝えられるなど秀政にゆかりの寺であり、境内には墓や秀政の業績の解説標識があります。 |
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